ピーター・セテラは、その独特なテナーボイスとソングライティングの才能で、ポップロック史における重要な人物として知られています。当初はバンド、シカゴの中核メンバーとして名声を博しましたが、後にソロキャリアを築き、数々のチャートトップヒットを生み出しました。彼の音楽の旅は、世代を超えて共感を呼ぶ象徴的な楽曲で彩られています。
セテラのキャリアは1967年、当時ザ・ビッグ・シングとして知られていたシカゴで始まりました。このグループは、間もなくシカゴ・トランジット・オーソリティ、そして最終的にはシカゴと改名し、ポップロック界を代表する存在となります。1967年から1985年まで、セテラのベース演奏とボーカルはシカゴのサウンドに不可欠な要素でした。この期間に、バンドは目覚ましい成功を収め、14枚のスタジオアルバムをリリース、5枚連続でナンバーワンアルバムを獲得し、21曲のシングルをトップ10に送り込みました。アメリカ国内だけでも3,800万枚を超えるシカゴのアルバムセールスは、彼らの根強い人気と、ピーター・セテラの楽曲が彼らのディスコグラフィーに与えた影響を証明しています。
シカゴ在籍中も、セテラは1981年にセルフタイトルのアルバムでソロへの意欲を垣間見せていました。しかし、バンド最大のヒット作となった1984年のアルバム「シカゴ17」のリリース後、セテラは本格的にソロの道へと踏み出します。特筆すべきは、「シカゴ17」からの4枚のシングルすべてでリードボーカルを務めたことで、その中にはチャート3位を記録した「You’re the Inspiration」や「Hard Habit to Break」などのヒット曲が含まれています。これらの楽曲は、セテラが感情豊かで心に響くバラードを作り出す能力を持っていることを示し、彼のソロスターとしての成功を予感させました。
1986年は、ピーター・セテラがソロアーティストとして大きな躍進を遂げた年となりました。映画「ベスト・キッド2」のサウンドトラックに収録された楽曲「Glory of Love(グローリー・オブ・ラブ)」は、大ヒットとなりました。「Glory of Love」は、Billboard Hot 100で2週間首位を獲得し、セテラはグラミー賞、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞にノミネートされ、彼の代表曲の一つとしての地位を確立しました。さらに、エイミー・グラントとのデュエット曲「The Next Time I Fall(ネクスト・タイム・アイ・フォール)」もナンバーワンを獲得し、ソロとしての成功を確固たるものにしました。これらのチャートを席巻したピーター・セテラの楽曲は、彼の1986年のアルバム「Solitude/Solitaire」に収録されており、彼のソロカタログの基礎となっています。
ヒット曲の勢いは衰えず、1988年のアルバム「One More Story」からのシングル「One Good Woman」は、Hot 100で4位にまで上昇しました。この曲は、彼にとってHot 100での最後のトップ10ヒットとなりましたが、アダルトコンテンポラリーチャートでは依然として強い存在感を示し続けました。1992年のアルバム「World Falling Down」からは、「Restless Heart」を含む3曲がアダルトコンテンポラリーチャートのトップ10入りを果たし、「Restless Heart」は同チャートで1位を獲得、アダルトコンテンポラリージャンルにおける彼の根強い人気を証明しました。
ピーター・セテラはその後もレコーディングとパフォーマンスを続け、2004年にはホリデーアルバム「You Just Gotta Love Christmas」をリリースしました。2019年にツアーからの引退を発表するまで、ソロとして、また自身のバンド、ザ・バッド・ダディーズとともにツアーを行いました。ツアーからは引退したものの、ピーター・セテラの楽曲の遺産は今もなお生き続けています。シカゴ時代の力強いバラードから、ソロでのチャートを席巻したヒット曲まで、彼の音楽は聴衆を魅了し続け、ポップロック音楽の真のアイコンとしての地位を確固たるものにしています。